政治家を目指す原体験
「生きていくのに必死だった」
私は、母子家庭の貧困家庭で育ち、働きに出る母の代わりに幼い妹2人と共におばあちゃんに育てられました。おばあちゃんは、他界しましたが今でも心から感謝しています。
厳しい経済環境で育った事から、自立に焦り、中学卒業後に高校へは進学せず、社会に出ました。
しかし、中卒の私が社会に出てもなかなか上手くいかず、その時に同じような思いを持った、やんちゃ坊主の仲間たちとグループを形成し、代表格に押し上げられるなど、いわゆる”落ちこぼれ”と言われる存在で、政治の世界とは無縁の人間でした。
しかし、道を外れ、挫折を繰り返し、荒れていた時期も社会の底辺で、世の中の矛盾を感じ、自分なりに何ができるかを考えていました。
そうした中、私はたまたま人の縁に恵まれ、周囲の大人たちに支えられ、「このままではいけない。」と一念発起し、横浜平沼高校(通信制)→呉竹鍼灸柔整専門学校(柔道整復師)→慶應義塾大学 経済学部(通信制)→デジタルハリウッド大学院(夜間) MVP(首席)修了。その傍ら、飲食店経営や東証一部に上場したIT企業を創業し、役員を務めました。
こうした過程を経て、直面してきた世の中の矛盾を変えるのは、政治しかないと決意。政治家を志し、第94代内閣総理大臣の菅直人さんの秘書を務めました。そして2011年に行われた神奈川県議会議員選挙にて県政史上最年少27歳で初当選。その後、2017年に行われた衆議院議員選挙にて34歳で当選しました。
議員として押し上げて下さった皆様の期待に応えたいという想いで、がむしゃらに働きました。結果として最も優れた政策を提言した議員に送られるマニフェスト大賞 最優秀政策提言賞を受賞。世界経済フォーラム U-33日本代表に選出。国会で最も活動した議員として「三ツ星議員」(709名中12名)に選出して頂くことができました。
決まったレールに沿わず、社会で成果を出すことは非常に大変なことでしたが、「大切なことは、成果が出るまでやり続けること」だと自分に言い聞かせて、諦めずに努力をし続けた結果、現在の自分があります。
ふつうの生活がいつまでも続くサスティナブルな社会づくり
そんな私が政治家として行いたいことは、大きく3つ。
一つ目は、「平和な世の中を護ること。」
二つ目は、「豊かな社会を創ること。」
そして三つ目は、
「“平和”と”豊かさ”がいつもいつまでも享受できる”サスティナブル”な世の中を創る」ことです。
笑われるかもしれませんが、端的に言えば、「世界平和」の実現という大きな理想を持っています。
ではなぜ、私がこの理想・目標を実行しようとしているのか。
それは、幼少期・青少年期の体験が原点として突き動かしています。
母子家庭の厳しい経済環境の中で育ったからこそ、どうすれば家族とご飯をたべていけるのか、みんなで豊かになれるのか、常に考えて生きてきました。
また、暴力が身近にある環境で育ち、家庭内でも地域でも血気盛んな人種が身近にいる環境で生きてきたからこそ、どうすれば暴力がなくなり、平和をもたらすことができるのか、常に考えてきました。
豊かさ
「衣食住があたりまえに得られる社会。」
「教育があたりまえに受けられる社会。」
「老後の生活があたりまえに守られる社会。」
「全世代の困っている人に手が差し伸べられる社会。」
「一人ひとりの人権が尊重される多様な社会。」
「生命・財産が脅かされることのない平和な社会。」
こうした暮らしがあたりまえになっているとすれば今、目の前にある社会は何よりも尊いと感じます。
しかし残念ながら今、この豊かな社会が危機に瀕しています。
近視眼的な政策決定により、「少子高齢化」「財政負担の先送り」「子どもの貧困」…あげればキリがないほどの問題が発生しています。
特に、「子どもたちは、自らの努力だけで道を切り拓くことはできない。」だからこそ、未来を見据えたより良い社会が持続する政策を実行しなければなりません。
平和
殴られたら痛い。殴ったら殴り返される。暴力は負の連鎖をする。
あたりまえのことですが、人は、自分自身、もしくは身近な人以外の痛みに鈍感になりがちです。
テレビの中で戦争が起こっていても、自分たちが選んだ政治がそれを遂行したとしても、間接的にその加害者になっていたとしても、体感値のない苦しみを黙認する。 そして今は、あまりにも人の痛みが実感できない人が指導者としての上に立っている気がします。
だからこそ、私たち国民と同じ目線で現地・現場の声を届けようとすることのできる人の心の痛みがわかる政治家が必要だと思います。
世界平和。
今までどの世代も成しえなかった“全ての生きる人が幸せであれる”夢物語のような世界を私たちみんなの力で創っていくことが私の政治家としての野望であり目標です。
途方もない目標ですが、誰かがその一歩を踏み出すことで道が切り拓けると信じています。
だからこそ私は唱え続けます。
「“全ての生きる人にとって、平和と豊かさがいつもいつまでも享受できる社会”が必要だと。」
人々の平和で豊かな生活を守るために、私は闘い続けます。
一隅を照らす政治
世の中をより良くするためには、私たち一人ひとりが社会の問題点に対して、自分の見える範囲のことをできる限り改善することができれば、世の中はより良くなると思います。
仮に、この世に生きるすべての人が、ステージに応じた社会の問題点を真剣に考え、それを解決するために全力でアプローチができる社会を創ることができれば、世界平和は必ず実現できると確信をしています。
ただ、私が掲げる理想の世の中を創るには、20年、30年、もしくは100年かかるかも知れない。
その中で私は、自分自身の体験談から「やればなんでも出来る。」「頑張れば夢は叶えられる。」という想いを、私自らが体現することで、皆様に”動けば変わる”という実感を伝えたいと考えております。
「諦めずにやり続ければ夢は必ず実現できる。」
この信念をモットーに、地域から日本を変え、日本から世界を変え、世界から未来を変えていく。
少なくとも、私たち若者世代が社会のTOPに立つ時には、他のどの世代がTOPに立っていた時よりも”理想”に一番近い時代を実現したいと考えております。
まだまだ若輩者ではございますが、一歩一歩目標の実現に向けて精進をして頑張っていきたいと思いますので、皆様、今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。